人の話を腰を据えて、じっくり「聴く」重要性

日常

考えている事垂れ流しシリーズ

今日はふと考えてた事を書き連ねてみるシリーズ!

私の家族は、昔からとにかく話を最後まで聴いてくれない人ばかりだった。

家族みーんな、自分の話しかしない様なコミュニケーション方法を取っている家庭に育ってきてたので、それも相待ってか、小さい頃の私は大層わがまま内弁慶子供だったと思う。

これは余談だけど、唯一祖父だけは話を聴いてくれる人だったんだよね。そんな祖父は私の唯一の味方だったな。(後に祖父は血が繋がっていなかったと知る。だから祖父は自分の話とかを自ら進んでしてなかったのかな?)

話は戻って、特に幼稚園の年少さん位までは、家族以外の他者に対してもゴリゴリにわがままのお子ちゃまだった気がする。(小さい頃なんて本当はわがままでも何でもいいんだけどね。)

マジでみーんな自分の話ばっかする(自分も含めて)ので、家族喧嘩になるとマァ〜大変大変。自分の意見に耳を傾けて聞き入れて貰える事なんて、ほぼ皆無だったと記憶している。

そのせいで?そのおかげで?今では立派なおしゃべりクソ野郎(有吉弘行リスペクト)に育った訳ですけども。

おしゃべりクソ野郎なのはさておき、こうして振り返ると家庭内だけでなく、学校・社会・他の場所…あらゆる場面に置いて相手の話に傾聴し、腰を据えて話を聴ける人って、意外と少ない事に気づいた。

相手が最後まで話し終えるまでじっくりと聴く姿勢って、持ってる?

少なくとも、私の親族はほとんど出来ない人ばかりだ。そのせいで、私が大人になった今でさえ親族同士の喧嘩は絶えない。日常茶飯事。

私は家庭内でケアテイカーであった事や、友人からよく相談を受ける機会が多かった事、独学で傾聴について学ぶ機会や仕事で傾聴スキルが必要になる機会に恵まれてきた結果、親族に比べたらある程度は「傾聴」出来る人間になれていると自負している。(あくまである程度、ね!)

完全に家庭内以外の外的要因のおかげで他人の話を聴くスキルをある程度身につける事が出来た訳だけども。

こうして「傾聴」についてある程度学んだり何だりしてみて、相手の話を最後まで黙って「傾聴」する事が出来たら、世の中もっと善い方向へ向かうんじゃないかなと本気で思った。その為には、やっぱり義務教育とかの教育の質の底上げも重要だよなあ…。

人間愛と社会に流れる雰囲気醸成が必要

あと、その根底にあるというか必要なのは「人間愛」。人間を愛し、互いに許し合う社会にしていこうという雰囲気が醸成されていなければ、そりゃ皆他人の話に耳を傾ける余裕も出てこないよなあとも感じている。

他人を変える事は簡単じゃないかもしれないけど、次の世代に向けて「傾聴」する重要性を伝えていきたいなとは思った。

相手の話に…というか、相手の物語、人生そのものに向き合って理解しようと想える事が少しでも出来たなら、人類はもっと互いを尊重出来るようになるのかなあ。

皆が皆手を取り合って全人類仲良しこよしして欲しいとは思わない。


ただ、隣人が思う事をあなたはそう考えるんだね、私はこう思うよ、お互いに不可侵領域はあるけれど、妥協点だってきっと探せばあるよね。もしも無ければ、お互いにそっとして、互いに心地よい距離感を保って生きていこうね。という様な事を全人類皆が何となく思い合える未来を目指して生きていきたいなと、小さな国のちっぽけな人間の一端としてそう願うばかりです。

こういう気持ちを未来に繋げていく為に、大人として子供達に何かを伝え育てていける様な人間でありたいな。

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